鬼平犯科帳登場人物

長谷川平蔵

長谷川平蔵鬼平犯科帳の主人公が長谷川平蔵、人呼んでお「鬼平」。平蔵は根っからの武士というキャラクターにない、人情味あふれる場面をドラマの随所に見せてくれる。その一因は、平蔵の幼少期から青年期にかけてに波乱に富んだ育ち方にある。平蔵は長谷川宣雄の妾腹の子として生まれています。そのため銕三郎と名乗った若いころには、義母にいじめ抜かれています。その辺をもう少し掘り下げ実在の鬼兵についても関係資料を引用して紹介します。

鬼平は架空の人物でなく、実在しています。生年は延享3年(1746年)であるらしく、没年は寛政7年(1795年)。50歳になろうとしているおりに死んでいます。今では早死とも言えます。もう少しわかりやすく言うならば、田沼意次が老中だった頃から、松平定信が寛政の改革を断行していったあたり、生まれた場所は、佃島対岸の築地湊町になっています。

原作では、平蔵の母は彼を産んでまもなく死亡とありますが、実際は平蔵が5歳になる頃まで生きていたらしい。しかしその義母とて原作のように、気位が高く彼をイジメ抜いたかは不明。ただ、この不遇な幼少期が、小説では平蔵の人間像を奥深いものにしています。池波正太郎の見事なキャラクター設定でドラマを盛り上げています。

平蔵19歳の時に家が本所に引っ越し、幼名・銕三郎からとって「本所の銕」と呼ばれた無頼の徒だったのは本当らしい。というのも、通常旗本の子は7~13歳の間に将軍にお目見えとなりますが、平蔵が将軍にあったのは23歳らしい。ここまで遅れたのには、相応の理由があったはずです。平蔵の父、宣雄は火附盗賊改方を務めたこともある能史。その父は安永2年(17773年)に京都西町奉行中に世を去り、平蔵は28歳で家督を相続しています。

その後、天明4年(1781年)に西の丸御書院番御徒頭、ついで御手先組頭となり、1787年9月19日に火付盗賊改方を命じられています。この時は助役で、翌年4月28日には一旦職を解かれ、同年10月2日から不役としての鬼平時代が始まります。

彼の捜査方法は放蕩時代の仲間を手下の密偵として使った点に特徴がありますが、実はこれは禁制に触れていると言うから驚きです。それでも悪を捕らえるには悪をもってするというあたりに、実在の平蔵の人なりが浮かび上がってきます。

一方で平蔵は、悪を悪として断じるだけでなく、更生させるための仕事もしています。天明7年に彼の進言によって作られた無宿人の更生施設「石川島人足寄場」です。無宿人たちを集めて手に職をつけさせ、真っ当な道に戻すことを目指したとされる施設です。平蔵は、助役時代も含めれば9年の長きにわたって、火付盗賊改長官を努め、解任後すぐの寛政7年5月19日に病死しました。

ドラマを見ていると平蔵の生い立ちや性格が随所に見られますね。妻の久栄には頭が上がらない設定や、本所・櫻屋敷に出てくる初恋の人おふさへの心理状態など複雑な心も表現しています。さらには密偵たちや配下の同心たちとの絡みでも、決して威張らず、それでいて強烈なリーダーシップを発揮したり。それに盗賊にお慈悲をかけることもあります。ドラマの中で自分が見ていてもおいおい、このまま捉えて獄門だろうというような悪党にもお慈悲をかけて放免し、その悪党が平蔵の心に打たれ、改心し密偵になるという展開にもびっくりします。

シリーズを重ねる毎に、配役の中村吉右衛門さんはじめ出演者も歳を取っていきます。大振りな立ち回りも後半のシリーズではあまり見られません。やっぱり体力使いますからね。密偵の彦十役の江戸家猫八さん、粂八の蟹江敬三さんも亡くなったり、少し寂しい気持ちになります。